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ある精肉店のはなし [映画(あ)行]

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満足度 ★★★★

スーパーマーケットに並んでいる肉のパックを見て、私たちはそれを誰がどのようにして準備してくれているのか、ほとんど考えることはないと思います。またそれは単なる「食材」ではなくて、もともとは一つの「いのち」であったことに、思いをはせることも滅多にないかもしれません。

この映画は、「いのち」が「食材」となるまでの、とても貴重な記録です。

舞台は大阪府貝塚市、七代にわたって屠畜に携わってきたある家族の日常に密着したドキュメンタリーです。七代前ということは江戸時代、動物を「四つ足」と呼び、その肉を食べることを忌み嫌っていた時代です。

農耕や運搬に使われ使命を終えた牛馬を解体処理するという、誰もがやりたがらない仕事は、被差別部落の住民に押し付けられてきました。彼らの住む地区はかつて岸和田藩の一部で、藩から代々屠畜の仕事を命じられてきたのです。だから、この映画を観て最初に思ったのは、よく彼らが出演を承諾してくれたなということでした。

彼らは現在まで昔ながらの方法で牛肉を提供してきました。つまり、仔牛から育て成牛になったら自分たちの手で屠殺し、パーツに切り分けて売るのです。器械を使うのは脊椎を二分して枝肉に分ける時のみ、それ以外はすべてナイフによる手作業です。しかしそういうやり方をするのはもう彼らだけとなり、長年使ってきた市の屠殺場が閉鎖されることになりました。自分たちが先祖代々受け継いできた仕事が無くなる前にそれを記録に残しておきたいという気持ちが、この作品となって結実したのでしょう。

手作業で肉を切り分けてゆく作業は、芸術的ですらあります。傷つけないよう細心の注意を払って剥がされた皮は、すぐに塩漬けされ、最終的には だんじり祭りで使う太鼓に張られます。肉と内臓は食用に供され、脂肪は石鹸などの原料となります。いのちと真っ直ぐに向き合い何も粗末にしない姿勢は、画面を通しても伝わって来ます。

生きてゆくことは、「命をいただく」ことです。あらゆることが分業化された現代においては、自分で狩りをしなくても、誰かが動物を捕まえて殺し、さばいて食べやすいようにしてくれているのが当たり前ですから、ついそれを忘れがちですが、食材の背後には いのちと向き合っている人々が居ることを、この映画は気付かせてくれます。

食は文化でもあります。何を食べ、何を食べないかは宗教ともつながっています。私たち日本人は昔から鯨を食し、肉以外の部分も余すことなく利用してきましたが、近年は鯨を食べる習慣のない民族から理不尽な非難を浴びています。

彼らの言う「クジラやイルカは知能が高いから、それを食べたりするのは野蛮」という理屈には、白人優位主義が見え隠れします。「ウシやブタは知能が低いから食べてもよい」という言い草の裏には、「有色人種は白人より劣っているから滅んでしまえばよい」という潜在意識がありそうです。知能の高低で命の重さに差があるなんていう理屈は、どう考えてもおかしいでしょう。どんな命も等しく貴重なのです。

命をいただくことに関して様々なことを考えさせられた作品でした。



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