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フッテージ [映画(は)行]

Footage.jpg
満足度 ★★★☆

「じゃ、ここにサインして、あちらの窓口に出してくれるかな? 記入欄が狭いんで、なるべく細い字で書いてね。」

そうは言われたものの、私はその時、先の太いサインペンしか持ち合わせていませんでした。誰かにボールペンを借りるべきでしたが、それも面倒くさかったので、サインペンで書いてしまいました。案の定、字はつぶれ、欄外にはみ出てしまい、読みづらくなってしまいました。

それを見た窓口の係員は、思わずこう言ったのです。

「なんだこれ、太ってぇ字!」

というわけで、今回の映画は「フッテージ」です。


凶悪犯罪を題材にしたノンフィクションでベストセラー作家の仲間入りをしたエリソン。しかし、その後の作品はまったく売れず、今は豪邸の借金の支払いにも窮する状態。仕方なく彼は自宅を売りに出し、郊外の一軒家に家族で移り住むことにします。

家族には「安かったから」なんて説明してましたが、彼はこの家が、おぞましい事件の起きたいわくつきの物件であることを知っていました。つまり彼は、事件現場である家に住み、謎を究明して起死回生のヒット作を書いてやろうという、とんでもないことを画策していたのです。

新しい家の屋根裏で彼は8㎜フィルムと映写機を発見します。恐る恐る観てみると、まさにその家で起きた惨劇の一部始終が記録されていました。ヒイィィィィィーーー!!

いい歳をしたオッサンが女子高生のごとく恐れおののく姿を、ハリウッドの火野正平、イーサン・ホークが熱演しています。(容姿はあまり似てませんが、役者としての立ち位置が似ているのではないかと)

残りのフィルムも観てみると、それぞれ方法は違えど家族の惨殺される様子が映されていました。いったい誰が、何のために?怯えながらも真相を究明しようとするエリソン。しかしそこには残酷な運命が待ち受けていました。

物語の前半はけっこう怖くてワクワクさせてくれますが、後半になると「え?そっち?」の方向に話が進み、怖さは減衰してしまいます。つまるところ、一番怖かったのは8㎜フィルムに残されたフッテージ(記録)だったという、シャレにならない展開でした。

エリソンのファミリーネームがオズワルトで、ケネディー大統領暗殺犯のそれに似ているので、何かあるのかなと期待していましたが、結局何もなかったなあ。



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FOUR [映画(は)行]

FOUR.jpg
満足度 ★

また つまらぬものを観てしまった。

ちなみに…

この方は出演しておりません。

レイザーラモンHG.jpg

いっそ 出てくれても良かったような気もしますが…

出演者が4人なので「FOUR」、タイトルも安直です。
出演者が3人だった「アリス・クリードの失踪」の方が何百倍も面白い。

女は誰でも峰不二子の素質を持っている、ということでしょうか?(謎)

「レザボア・ドッグズ」のマイケル・マドセンのくだりが少しだけ面白かったので★1つ。



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タグ:four

ヘッドハンター [映画(は)行]

HEADHUNTERS.jpg
満足度 ★★★★★

何の予備知識もなく、レンタル店で「ジャケ借り」した作品。

表向きは敏腕のヘッドハンターとして働いている主人公が、裏ではホントに人間の首を刈っていて… みたいなスプラッターな話を期待して観たのですが、スプラッター要素は皆無で、非常によく練り込まれたサスペンスでした。

ノルウェー映画ですが、大ヒットしたスウェーデン映画「ミレニアム」の製作陣が関わったと聞いて納得です。ハリウッドが既に忘れてしまっている映画の面白さのエッセンスを、これでもかこれでもかと目いっぱい詰め込んでいて、久しぶりに心から楽しめました。これはいい!

「ミレニアム」同様、ハリウッド・リメイクが決まってるらしいです。ま、やりたきゃやればって思いますが、あの北欧独特のしっとりとした雰囲気は、カンカン照りの下でハンバーガー食べてるアホなアメリカ人には出せっこないでしょうから、まったく別物と思わなきゃいけないでしょうね。

リメイクするなら、主人公→ガエル・ガルシア・ベルナル、奥さん→ダイアン・クルーガー、敵役→アシュトン・カッチャーあたりでどうでしょうか?

調子こいてた主人公が罠にはまって、人生のどん底に突き落とされるという話なんですが、もうこれが笑ってしまうくらい最悪で、演じてた役者さんが気の毒になってくるほどです。TVのバラエティに出てくる若手芸人でさえ、あそこまでの仕打ちは受けないでしょうね。

そして、終盤一気に伏線を回収しつつ、どん底から起死回生の復活を遂げる時の爽快感といったらありません。ここ数年間で観たサスペンスの中で間違いなくベストに挙げることのできる大傑作でした。



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東ベルリンから来た女   @シネマクレール [映画(は)行]

Barbara.jpg
満足度 ★★★★

スノーシーズンが終わり、むさぼるように映画を観ております。レヴューを書く暇もないほどに。

久しぶりのドイツ映画。ウザいナレーションで説明過多になることなく、これ見よがしの音楽と役者のオーバーアクションで無理に話を盛り上げることもなく、実に淡々と物語は進んでゆきます。こういう大人のヨーロッパ映画の手法を、我が国の映画製作者も見習うべきでしょう。

舞台はベルリンの壁崩壊前の東ドイツ。美しいけれど周りの誰にも心を開かない女性医師バルバラが、田舎町の病院に赴任してきます。それを病院の窓から見ている二人の男。彼らの言動から、一人は秘密警察、もう一人は彼女のことを監視する役目の上司だとわかります。

どうして監視される羽目になったのか、それはその後の彼女の行動から少しずつわかってきます。必要最少限のヒントを与えて観客に推理させようという、大人の映画なのです。音楽らしい音楽もなく、セリフも簡素なので、気を抜いていると話についてゆけなくなります。

実は、監視役の上司アンドレもかつては大都市の病院に勤務していたのですが、ある事件がきっかけで田舎町に追いやられていたのです。出世の道を閉ざされてもクサることなく、患者と真摯に向き合い、医学研究にも力を注いでいる彼の生き方に接して、頑なに心を閉ざしていたバルバラは少しずつ心を開いてゆきます。

医師としてのバルバラは、アンドレに負けず劣らず優秀です。強制労働所から脱走して草むらに何日も隠れていた少女が興奮状態で搬送されてきた時、ちょっと診察しただけでマダニによる髄膜炎と見抜いてしまうのです。

医師として優秀なだけでなく、彼女は病める者の傍に寄り添い家族のように接するという広い心も持ち合わせていました。強制労働所の少女との出逢いは、彼女の心の中に大きな変化をもたらすことになります。

最後に彼女の選んだ選択には驚かされますが、そこに至るまでの経緯を観ているので、彼女の行動はすんなり納得でき、晴れやかな気持ちで映画館を後にすることができました。いつまでも余韻の残る良い作品だったと思います。(邦題はカスですが)



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星の旅人たち   @シネマ・クレール [映画(は)行]

星の旅人たち.jpg
満足度 ★★★★☆

Buen Camino! (良き旅路を)

次にスペインを訪れる時は、サン・セバスティアン、ビルバオ、オビエドを巡り、最後はサンティアゴ・デ・コンポステーラ、と決めている自分にとって、この映画は最高の贈り物だった。

カリフォルニアで眼科医をしているトムは、ひとり息子のダニエルがスペインで不慮の死を遂げたという知らせを受ける。ダニエルは、フランスからピレネー山脈を越えてスペインの西端サンティアゴ・デ・コンポステーラまで続く巡礼の道を歩こうとしていたが、その初日に嵐に巻き込まれたのだった。

すでに妻はなく、一人で息子の亡き骸を引き取りに行くトム。父子の間には長年にわたる確執があった。息子はどういうつもりだったのだろう、それが気にかかった父は、灰になった息子をバックパックに詰め、自分が代わりに巡礼の道を歩くことにする。

トムの住んでいるのがカリフォルニアのヴェンチュラ、という設定にまず萌える。ヴェンチュラといえば、この名曲に唄われている場所でっせ。


巡礼の道を歩き始めた時に流れるのがJTのこの曲。ピッタリだ。


旅の途中でいろんな人たちに出逢うわけだが、はっきり言ってどうでもよかったな。いかにも作り話っぽいキャラ設定ばかりで。とりわけ、スランプに陥ってるとかいうアイルランド人の自称小説家なんか、本当にどうでもよかった。

そんなことより、主演のマーティン・シーンは本名をラモン・エステベスといい、お父さんがスペインのガリシア出身で、ガリシアというのは、まさにこの映画で描かれた巡礼の道のある所で、映画の脚本・監督そして息子役を務めたのがマーティンの長男エミリオ・エステベスだから、この作品はエステベス家のルーツを辿る旅でもあった、ということの方がよほど面白い。

スペインを訪れるとわかるのだが、スペインは一つの国ではなく、実際は四つの国からできている。マドリッドを中心とするカスティージャ、バルセロナのある南部のカタルーニャ、北東部のバスク、そして北西部のガリシアだ。本来はそれぞれ言葉が違うが、内戦で勝利したカスティージャの言葉を、他の地域の人々は無理やり押し付けられているので、彼らはいつか独立してやろうと思っている。

トムがバスク地方の宿泊所で「スペインは初めてなんだ。」とつぶやいた時、「ここはスペインじゃないよ、バスク国だ。」と言われるシーン、「タパスをくれ。」と小皿料理を頼んだら、「それはマドリッドの言い方だね。ここではピンチョスだ。」と言われるシーンは、そのへんの事情を知らないとわかりにくいかもしれない。

通過地点ごとに少しずつ息子の灰を置いてゆき、最後にガリシアの海に灰を撒き散らすトムの背中が、見ていられないほど寂しそうだった。少しは息子のことをわかってやれたのだろうか。遺品を抱いてカリフォルニアに帰ってから、寂しさがさらに実感としてわいてくるんだろうな、と父親目線でエンディングを観た。



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ブラック・ブレッド   @シネマ・クレール [映画(は)行]

Black Bread.jpg
満足度 ★★

スペインのアカデミー賞と言われるゴヤ賞を9部門で受賞し、アカデミー賞のスペイン代表作品になったというから、そりゃもう期待せずにはいられなかった。

しかしね、駄作ではないんだけど、そんなに良いとも思えなかったなあ。むしろ、映画の常識からみて「これ、大丈夫なのか?」と思わせるようなシーンが2ヶ所ほどあって、そちらの方が印象に残った。

舞台は内戦が終息して間もないスペインのカタルーニャ地方の寒村。右派が勝利をおさめ、左派の残党狩りが公然とおこなわれている。村人たちも勝ち組と負け組とにはっきりと分かれ、村の根底には不穏な空気が流れている。

そんな時、村人の一人であるディオニスの乗った馬車が崖から転落し、息子ともども命を落としてしまう。

まず、このシーンが問題。ハリウッドだと、「私たちはどんな動物も傷つけてませんよ。」という文言を、必ずエンドロールに記述するのが習わしになっている。動物愛護団体の顔色をうかがってに敬意を表して、動物が死ぬシーンでも本当に殺したりしないのが今は常識なのだ。

ところが、この作品では馬を実際に崖から突き落とし、おまけにその様をスローモーションで撮影するという、ハリウッドの常識を真っ向から否定するような手法をとっている。単に無知なのか、それとも知ってて敢えてやったのかはわからないが、どのみちこの時点でアカデミー受賞はなくなったと見るべきだろう。

物語は村に住む無垢な少年アンドレウの眼を通して語られる。彼の父親は左派に属しており、事故を装ってディオニスの馬車を転落させたのではないかという嫌疑をかけられたため、家族を置いて国外に逃亡しなくてはならなくなる。仕方なく預けられた祖母の家で暮らすうち、彼は大人社会のきたなさを学び、成長してゆく。

祖母の家にはヌリアという、不発弾で片手を失った従妹が居た。父親は自殺し、母親も不倫のあげく家を出てしまった、とても不幸な少女なのだが、実は生きてゆくために女の武器を活用するという、とんでもないことをしていたのだ。

これが第2の問題。ヌリアはまだ小学生という設定ですぜ。森でアンドレウを誘惑するシーンもあるし、チャイルドポルノのコードに抵触するんじゃないのか? たとえ抵触しないとしても、これじゃアカデミー賞にノミネートすらされないと思う。

「パンズ・ラビリンス」とか「デビルズ・バックボーン」といった、スペイン内戦がらみの作品には魅力的なものが多く、本作も独特の雰囲気を持っていただけに、もう少し世界配信ということに気を配って欲しかった。

こんなことなら、ペドロ・アルモドバル監督の「私が、生きる肌」をスペイン代表作品に選ぶべきじゃなかったのか、なんて今さら遅いけど。


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別離   @シネマ・クレール [映画(は)行]

別離.jpg
満足度 ★★★★☆

「彼女の消えた浜辺」のアスガー・ファルハディ監督が、またとんでもなく凄い作品を送り出してきた。

2時間余りの間、緊張の糸がピーンと張りつめたまま、先の読めない展開にドキドキハラハラし、登場人物たちの行く末を固唾をのんで見守るしかない。エンドロールが始まった時にはもうヘトヘトに疲れていた。

前作に続き今回もファルハディ監督が脚本も書いているが、とにかく脚本が素晴らしいの一言に尽きる。

あらすじ(公式サイトより)テヘランで暮らす妻シミンは、11歳になる娘テルメーの将来のことを考えて、夫ナデルとともにイランを出る準備をしていた。 しかしナデルは、アルツハイマー病を抱えることとなった父を置き去りにはできないと国を出ることに反対。夫婦の意見は平行線をたどり、シミンが裁判所に離婚申請をするが、協議は物別れに終わる。 シミンはしばらく家を出ることとなり、ナデルは父の世話のためにラジエーという女性を雇うことにした。 しかし、ある日、ナデルが帰宅すると、父は意識不明でベッドから落ち床に伏せていた。 ナデルは怒りをあらわにして、ラジエーを問い詰め、彼女を手荒く追い出してしまう。 その夜、ナデルは、ラジエーが入院したとの知らせを受ける。しかも、彼女は流産したというのだった……。

このラジエーの流産が、予想以上に大きな問題となる。イランの法律では、受精後120日以上の胎児は、生まれていなくても一人前の人間とみなされるため、もしもナデルの行動が流産の原因になったのだとすれば、彼は殺人罪に問われるからだ。

そもそも、ラジエーに認知症の老人の介護などできるはずがなかった。イスラムの戒律では、女性が身内以外の男性の裸を見ることはタブーなのだ。だから、ナデルの父親が失禁してしまっても、聖職者に電話して許可をもらわなければ着替えさせることもできない。もっとも、シミンが家を出てゆく前は失禁などしたことがなかったので、介護と言っても見守りだけのつもりだったのだろうが。

また、ラジエーはナデルの家で働くことを夫に黙っていたばかりか、妊娠中であることも雇い主のナデルに隠していた。なぜ黙っていたのか、なぜ介護の必要な老人を放置したまま外出したのか、物語の進行とともに事実が明らかになる。

そして、争点は、ナデルがラジエーの妊娠に気付いていたかどうか、ラジエーの流産がナデルと争った際に転倒したことが原因なのかどうか、その2点に絞られてくる。

愛する家族のため、つい隠し事をしたり、ちょっと嘘をついたりしたことが、取り返しのつかないボタンの掛け違いを招き、結局は家族を傷つけてしまう、そんな様をファルハディ監督は見事な緊張感をもって描いている。

近代化に伴ってイラン各地で起きているであろう、女性の自立や高齢者介護の問題、教育の問題も盛り込まれており、今のイランを知ることができるという点でも興味深い。宗教こそ違え、どこの国も同じような問題を抱えているのだ。

冒頭で裁判官がシミンにかけた言葉が今のイランをよく表している。
「ここで両親と暮らすより、外国で片親と暮らす方が、子供にとって幸せなのか? この国の子供に将来はないのか?」

おそらく監督は、「今のままでは、ない!」と言いたいんだろう。

前作「彼女が消えた浜辺」で主役を演じたゴルシフテェ・ファラハニーは、「ワールド・オブ・ライズ」に出演し、イラン人女優として初めてハリウッド進出を果たしたが、それがイラン当局の反感を買い、現在はパリで暮らしている。

本作の撮影が開始されたのち、ファルハディ監督は国内の映画祭授賞式で「国外に逃げた映画監督や俳優が、再びイランに戻って活動できることを望んでいる」と語ったが、これが不適切発言としてイラン文化省から問題視され、いったん制作許可を取り消されるという憂き目に遭っている。

映画一本撮るにも政府の許可が要り、許可されてからも、規制でがんじがらめにされるのがイラン映画界の現状なのだ。シミンはイランの映画界そのものだったのかもしれない。


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ホーボー・ウィズ・ショットガン   @シネマ・クレール [映画(は)行]

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満足度 ★

ああ、気分が悪い。年明け早々こんなクソ映画に出くわしてしまった。

ルトガー・ハウアーが大好きで、ロバート・ロドリゲス監督作品「グラインドハウス」のフェイク予告編から生まれたスピンオフ長編と聞いて、つい気軽に観に行ったのが失敗だった。

ジェイソン・アイズナー監督とやら、70~80年代のB級映画好きらしく、随所にそれらしいオマージュを散見できるのだが、タランティーノ監督やロドリゲス監督と比べれば、B級臭さという魔法のスパイスのサジ加減を知らないようだ。スパイスを入れ過ぎて、臭いだけの作品にしてしまった。

ホーボーというのは、もともと世界恐慌の頃、職を求めて貨物列車にこっそり忍び込んでは各地を転々としていた浮浪者のこと。"ホーボーもの"といえば、「北国の帝王」という男臭さ全開の名作があって、どうしてもあんな風なアクションを期待してしまうが、列車のシーンは最初の数分間だけで、後のアクションもグダグダ、とんだ期待外れだった。

とある街に降り立ったホーボーが、街にはびこるダニどもをショットガンでやっつけてまわり、いつの間にかヒーローになるというストーリーは、チャールズ・ブロンソンの「狼よさらば」を下敷きにしているのだろうが、台本を読んだルトガー・ハウアーが「何だこれ?」と言ったように、観ている方も最後まで「何だこれ?」としか感じられない。

北国の帝王.jpg狼よさらば.jpg

公開処刑される人物がマンホールの蓋を首輪のごとく着けられるシーンは、ルトガー・ハウアー主演作「ウェドロック」の首輪爆弾を意識したのかもしれないが、どうせなら、彼に剣を持たせて、「ブラインド・フューリー」みたいに斬りまくれば良かったんだ。この間観た「宇宙人ポール」の中にだって、ブラインド・フューリーの真似をするシーンがあったぞ。

ウェドロック.jpgブラインド・フューリー.jpg

どっちにしても、せっかくハウアー様を出演させたのに、最後までヨレヨレのジジイのままで終わらせたのが気に入らない。ハウアー様のキャリアに大きな汚点を残してしまったじゃないか。場内が明るくなった時、観終わった客が皆一様に苦笑いをしていたのが奇妙だった。


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フィフティ・フィフティ 50/50   @TOHOシネマズ岡南 [映画(は)行]

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満足度 ★★★★☆

今年、最も「ほっこり」させられた作品。地味だけど心に響く。

主人公のアダムはラジオ局に勤務する27歳の男性。酒もタバコもやらず、部屋が散らかったり仕事に遅刻したりすることを嫌う几帳面な性格。もちろん健康にだって気を遣っていて、毎朝のランニングを欠かさない。

冒頭で、街を走るアダムをカメラが追い、ちょっとひと休みする彼の後ろにシアトルのシンボルである高層タワー、スペース・ニードルを垣間見せて、ああシアトルが舞台なんだとわからせるようにしているのがいい。文字やナレーションを安易に入れてしまう説明過多な作品があまりにも多いので。

そして、主人公がアメリカ人なのに車の免許を持っていないという設定もユニークだ。彼の言い分はこうだ、「交通事故は死因の5位で、ガンと変わらない、だから僕は車の運転はしない。」と。

その、誰よりも健康に気を遣い、交通事故の危険を避けているはずのアダムが、脊髄のガンに冒されていることがわかってしまう。何という皮肉。悲運に打ちひしがれる彼だが、努めて平静を装おうとする。むしろ本人より周囲の方が取り乱してあたふたするわけで、その様子を意識的にコミカルに描いている。そのように、難病ものをあえてコメディ仕立てにする演出が素晴らしい。

しかも、作品のあちこちに仕掛けが施されていて、それに気付くとかなり楽しめる。

まず、アダムのお母さん役のアンジェリカ・ヒューストンは、お化けの一家を描いた映画「アダムズ・ファミリー」で母親役を演じていた人だ。息子の名前をアダムにしたのは意図あってのことだろう。

それから、アダムの家の番地を表すプレートが何度も映されるのだが、その数字が「404」だった。何かをググった時にヒットしないと、「404 Error」と出てくるアレに引っ掛けてあったと私は思うが、どうだろう?
404 Error.jpg

タイトルの『50/50』とは、アダムの病気の5年生存率が50%というところからきている。でも、このタイトルを見るたびに、ヴァン・ヘイレンの「5150」を思い出すのは私だけではないだろう。ちなみに、「5150」とは、「犯罪を犯す可能性の大きいクレイジーなヤツ」というLA市警の暗号コード。ヴァン・ヘイレンのファンなら知っているその意味をシャレたに違いない。
VanHalen_5150.jpg
ヴァン・ヘイレンのオフィシャルサイトで手に入る5150 Tシャツ。
5150 T shirt.jpg

とまあ、深読みし過ぎかもしれないが、随所に散りばめられたシャレと軽妙な掛け合いで楽しませてくれる、上質な大人のコメディだったと思う。

シアターからの帰り道、昔テレビで観た「ガンかて笑って死ねるんや」というドラマを思い出した。国立大阪病院耳鼻咽喉科部長であった中村氏の前向きなガン闘病記で、この作品同様、悲劇をコミカルに描いていてとても新鮮だった。たしか、主題歌は坂本 九さんだったなあ。もう一度観たくなった。


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BIUTIFUL   @シネ・リーブル神戸 [映画(は)行]

BIUTIFUL.jpg
満足度 ★★★★★

ハビ様(ハビエル・バルデム)の最新作。
地元での公開を待ちきれず、神戸へ。

「それでも恋するバルセロナ」と同じく、今回も舞台はバルセロナ。しかし、前作では遊びも恋も意のままのハイソな画家を演じていたハビ様が、今度はうってかわって汚れ役に取り組んでいる。

ハビ様演じるウスバルは、子どもの虐待を繰り返す情緒不安定な妻と別れ、バルセロナの下町で二人の子供と暮らしている。

自宅から見える、サグラダ・ファミリア教会と、地元の人が「座薬」と呼んでいるバルセロナ水道局ビル(Torre Agubar)との位置関係から、ウスバルが住んでいるのは、旧市街のラバル地区ではないかと思われる。

Agubar.jpg

ラバル地区は、Barrio Chino(中国人街)とも呼ばれていて、中国系のみならず、フィリピン系やアフリカ系など、雑多な移民の多く暮らす危険な地域。バルセロナ・オリンピックを機会に再開発がおこなわれ、街の姿は少しずつ変化してきているが、今でも夜はジャンキーの巣窟となる。

ウスバルは、そこで偽ブランドバッグを作っている中国人や、それを路上に広げて売っているアフリカ人たちの間に入って、仕事を斡旋してやったり、取り締まりを免れるよう警官に賄賂を渡したりしている。

もちろん彼らのほとんどは不法入国者なわけで、足元を見てピンハネをしようとする悪徳業者に対しても文句は言えないのだが、ウスバルはそういう時に出て行って、ちゃんと賃金を払うように話をつけてやったりする。

彼の仕事は決して誇れるようなものではないが、常に弱者の味方をしているという点で、男気に溢れる頼もしい人物だ。そんな彼が進行した前立腺癌にかかっていることがわかり、余命2ヶ月と宣告される。

幼い二人の子を残して死ぬことへの未練や不安を抱えながら、子供の前ではクールを装い、陰では死ぬための準備をひとつひとつこなしてゆく彼の2ヶ月を追ったこの作品は、監督が自身の父に捧げたレクイエムであるとともに、黒澤 明監督の「生きる」に対するオマージュでもあるようだ。

「パパはお父さんに会ったことがないんだ。パパがまだ小さい頃、フランコに追われてスペインを出て行ってしまったからね。」というくだりから、彼の父は、スペイン内戦で人民戦線の兵士だったことがわかる。

バルセロナのある南部のカタルーニャ地方は、北部のバスク地方とともに、昔から独立志向の強い地域で、スペイン内戦時は反ファシズムの人民戦線側に付いたが、最終的にはフランコ率いる反乱軍に敗れ、その後何10年も公の場でカタルーニャ語を話すことを禁じられるという憂き目に遭った。

本来の言葉を取り上げられたバルセロナの人々が、自由にカタルーニャ語で話せるようになったのは、つい最近のことなのだ。そういう歴的背景を考えると、この作品はスペイン語(カスティージャ語)ではなくカタルーニャ語で語られるべきだったと思う。

まあ、そうは言っても、監督はメキシコ人だし、ハビ様もカタルーニャ出身ではないし、バルセロナ・オリンピックの時に公用語をカタルーニャ語にして他の地域からブーイングを浴びたという前例もあるから、スペイン語が用いられたのも仕方はない。

いずれにしても、スペイン内戦が今でもスペイン人に暗い影をおとしていることを理解しておかないと、ウスバルのお父さんへの想いはわかりにくい。「ベル・エポック」、「エル・スール」、「蝶の舌」、「パンズ・ラビリンス」など、内戦を描いたスペイン映画は多いのだ。

ウスバルのお父さんは、バルセロナ名物である引き出し式の墓地に防腐処理されて眠っていたが、今後は金のかからない共同墓地に彼と一緒に眠ることにしたため、棺を移すことになる。その時、彼は初めてお父さんの顔を見るのだ。そのシーンが作品のハイライトだった。ハビ様渾身の演技に胸が熱くなる。

POBLENOU.jpg

冒頭の幻想的なシーンがエンディングにもつながっていて、ああなるほど、そういうことだったのか、と納得できる仕組み。
" Que hay? (何があるんだい?) " と尋ねるウスバルが見つめる先をカメラはあえて映さない。

いつまでも余韻の残る、素晴らしい作品だった。



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